由緒・沿革

絵図

海南神社

御祭神

相殿に

藤原資盈公の経歴

沿革

西暦元号由緒・沿革
866年 貞観八年 藤原資盈公が歿した後、郷民が花暮海岸に祠を建立して祀る。
982年 天元五年 その祠を本宮とし、社殿を造営し、三浦一郡の総社となる。
1653年3月 承応二年 正一位(吉田家神道の宗源宣旨の一番高い位)に認定される。
1719年 享保四年 三浦半島の総鎮守となる。
1873年 明治六年 旧社格制度の郷社(民社で二番目に高い位)となる。
1907年 明治四〇年 神饌幣帛料共進神社に指定される。
(天皇の勅令により県令をもって県知事が、新年祭、新嘗祭、例祭に神饌幣帛料を共進された神社)